海の化学と骨格進化
## 骨格は、生物だけではつくれない
貝殻、サンゴの骨格、ウニの殻、脊椎動物の骨。生命史を振り返ると、さまざまな生物が硬い構造を獲得してきた。こうした「骨格」は、捕食から身を守る装甲になり、体を支える柱になり、筋肉を動かす足場にもなる。
しかし、骨格の進化を生物側の適応だけで説明することはできない。骨格をつくるには、カルシウム、炭酸イオン、リン酸などの物質を環境から利用する必要があるからだ。とくに海では、水温、酸素濃度、酸性度、溶け込んだイオンの種類や濃度が、鉱物を沈殿させやすいか、逆に溶かしやすいかを左右する。
したがって骨格進化は、生物の遺伝的変化だけでなく、海の化学状態との相互作用として見る必要がある。
ただし、「海水の成分が変化したから骨格が進化した」という単純な因果関係が確立しているわけではない。捕食、生態系の複雑化、生物自身の生理機構なども関係しており、環境変化は複数の条件の一つだったと考えるのが適切である。
## 硬い部分をつくる「生体鉱物化」
生物が体内や体表に鉱物をつくることを、生体鉱物化という。
代表的なのが炭酸カルシウムである。サンゴや多くの軟体動物などは、カルシウムと炭酸系の物質を利用して硬い構造を形成する。ただし、同じ炭酸カルシウムでも結晶構造には違いがあり、代表的なものとして方解石とアラレ石がある。
脊椎動物の骨や歯では、カルシウムとリン酸を含む鉱物が重要になる。珪藻や一部の海綿などは、ケイ酸を利用した硬い構造をつくる。
このように「骨格」と呼ばれるものは一種類ではない。異なる生物系統が、それぞれ利用可能な物質と生理機構を使いながら、独立に硬い構造を進化させてきた。
ここで重要なのは、生物が海水から単純に鉱物を析出させているわけではない点である。現生生物は、イオン輸送、酸塩基調節、有機分子による結晶形成の制御などを通じて、周囲とは異なる微小環境をつくり出すことができる。
そのため、海水がある鉱物の形成に不利になったとしても、すべての生物の骨格形成が直ちに停止するわけではない。生物側の制御能力が、環境条件への耐性を左右する。
## カンブリア紀に増えた硬い構造
動物の硬い骨格が化石記録で目立つようになるのは、カンブリア紀初期である。
それ以前にも鉱物化した構造をもつ生物は存在していたため、骨格がカンブリア紀に突然「発明」されたわけではない。それでも、カンブリア紀前後には、さまざまな系統で硬い殻や棘、外骨格などが現れ、生態系のなかで大きな役割を果たすようになった。
この変化の背景として、海水中のカルシウムなどの化学条件が骨格形成に適した方向へ変化した可能性が議論されている。しかし、それだけで急速な骨格化を説明できるとは限らない。
もう一つ重要なのが捕食である。
捕食者が増えれば、硬い殻や棘をもつことは防御上の利点になりうる。一方、捕食者側でも、硬い獲物を壊したり穴を開けたりする能力が有利になる場合がある。防御と捕食の相互作用が続けば、生物同士の進化的な競争が骨格の発達を促した可能性がある。
つまり、海の化学変化が「材料を利用できる条件」を整え、生物間相互作用が「骨格をもつ利点」を高めたという組み合わせが考えられる。ただし、それぞれの寄与を明確に分離することは難しい。
## 海水は長い時間で化学組成を変える
現代の海を見ると、海水の化学組成はおおむね一定しているように感じられる。しかし、数千万年から数億年という時間尺度では、その状態は変化してきた。
海洋に供給される元素の量は、岩石の風化、河川からの流入、海底熱水活動などに左右される。一方で、元素は海底堆積物への埋没や生物による利用などを通じて海から除かれる。
さらにプレートテクトニクスも影響する。
海洋地殻が活発につくられる時代とそうでない時代では、海底で起こる化学反応の規模が変わる可能性がある。大陸の配置が変化すれば、風化や河川からの物質供給、海流も変化する。
海の化学は、それ自体が独立したものではなく、大気、岩石圏、生物圏を含む地球システム全体の一部なのである。
## 「アラレ石の海」と「方解石の海」
海水の化学と骨格進化の関係を示す代表的な考え方に、「アラレ石の海」と「方解石の海」がある。
炭酸カルシウムには複数の結晶形があり、海水中のマグネシウムとカルシウムの比などによって、無機的に形成されやすい鉱物が変化する。地質時代を通じてこの比率が変動し、アラレ石や高マグネシウム方解石が形成されやすい時期と、低マグネシウム方解石が形成されやすい時期が交互に存在したと考えられている。
こうした変化と、その時代に主要な造礁生物や炭酸塩生産者が使う鉱物との対応が研究されてきた。
ただし、生物の骨格鉱物が海水の化学によって完全に決定されるわけではない。生物は生理的に鉱物形成を制御するため、環境変化に対してある程度独立して骨格を維持できる。
また、ある生物群が特定の鉱物を使うようになった理由には、祖先から受け継いだ生理機構という歴史的制約もある。海水が変化するたびに、生物が最も形成しやすい鉱物へ自由に切り替えるわけではない。
海の化学は進化の選択肢を左右するが、それだけで進化の方向を決めるものではない。
## 酸素も骨格進化と無関係ではない
骨格進化を考えるとき、カルシウムや炭酸だけでなく酸素も重要である。
大型で活動的な動物を維持するには多くのエネルギーが必要になる。酸素を利用する代謝は、そのエネルギー供給を支える。先カンブリア時代末からカンブリア紀にかけての酸素環境の変化が、動物の大型化や活動性の上昇を可能にしたという仮説は広く議論されている。
ただし、当時の大気や海洋の酸素濃度を正確に復元することは難しい。酸素増加と動物多様化の時間関係についても、研究によって解釈には幅がある。
さらに、骨格をつくること自体にも代謝コストがかかる。イオンを運び、結晶形成を制御し、体内環境を調節する必要があるためだ。
酸素濃度の上昇が骨格進化を直接引き起こしたと断定することはできないが、複雑で活動的な動物が成立するための環境条件の一つだった可能性はある。
## 骨格をもつ生命が、逆に海を変える
海の化学が生命に影響するだけではない。骨格をつくる生物が増えれば、生命も海の化学を変える。
炭酸カルシウムの殻や骨格を大量につくる生物が繁栄すると、海水中のカルシウムや炭酸系物質が生物活動によって取り込まれる。その骨格が死後に海底へ沈み、堆積物として保存されれば、物質は長期間にわたって海洋から除かれる。
こうして形成された炭酸塩堆積物は、長い地質時間のなかで石灰岩となることがある。
炭素という視点から見ると、これは地球規模の炭素循環の一部である。炭酸塩鉱物として炭素が堆積物へ移動する過程は、大気・海洋・岩石圏の間を炭素が移動する仕組みに組み込まれている。
ただし、石灰化が大気中の二酸化炭素を単純に減らすとは限らない。炭酸塩形成に伴う海水中の化学反応は複雑であり、長期的な二酸化炭素収支を考えるには、風化、埋没、火山活動などを含む炭素循環全体を見る必要がある。
## サンゴ礁は生命がつくる地質構造でもある
骨格をつくる生物が地球環境を変える例として、サンゴ礁はわかりやすい。
造礁生物は炭酸カルシウムを蓄積し、長い時間をかけて巨大な三次元構造を形成する。そこには多数の生物が生活し、隠れ場所、餌場、繁殖場所などとして利用する。
つまり、生物がつくった骨格が新たな生息環境となり、その環境が別の生物の進化や多様化に影響する。
こうした作用は「生命が環境に適応する」という一方向の図式では捉えきれない。生命は環境から制約を受ける一方、自ら物理的・化学的環境をつくり変え、その変化した環境が次の世代の生命に新たな条件を与える。
## 海洋酸性化が示す骨格と化学環境の結び付き
海水中の二酸化炭素が増えると、海洋の炭酸系の化学平衡が変化し、一般に水素イオン濃度が上昇する。これが海洋酸性化である。
その結果、炭酸カルシウムの形成に利用できる炭酸イオンが減少し、特定の石灰化生物にとって骨格形成の条件が厳しくなることがある。
ただし、生物種による反応の違いは大きい。水温、栄養塩、食物供給、酸素状態なども影響するため、酸性化だけから生物の将来を単純に予測することはできない。
地質時代にも、炭素循環の急激な変化に伴って海洋の化学状態が変化した事件があった。その際に石灰質生物がどの程度影響を受けたかは、大量絶滅や生態系変化を理解するうえで重要な研究対象になっている。
## 骨格進化は「地球と生命の共同史」である
骨格は、一見すると生物の体の一部にすぎない。しかし、その材料は海や岩石に由来し、形成のしやすさは海水の化学状態に左右される。
一方で、骨格を形成する生物が増えれば、大量の元素が海水から取り込まれ、海底に堆積する。さらに礁のような巨大構造が形成されれば、生物自身が新しい生態系の舞台をつくる。
そこには単純な一方向の因果関係はない。
プレート運動や風化が海の化学を変え、海の化学が生物の骨格形成に制約を与える。捕食や競争が硬い構造の利点を変え、生物が新たな骨格形成能力を進化させる。そして大量の骨格が海底に蓄積し、再び地球の物質循環に影響する。
どの変化が最初の原因だったのかを一つに決められない場合も多い。それでも、地質記録と化石記録を合わせて見ることで、生命と地球環境が互いを変化させながら現在の地球をつくってきた姿が見えてくる。
海の化学と骨格進化の歴史は、生命史が地球環境の単なる結果ではなく、地球そのものを変えてきた過程でもあることを示している。