生命史に支配者はいない

## 「○○の時代」という便利な言葉 生命史を振り返ると、「三葉虫の時代」「恐竜の時代」「哺乳類の時代」といった表現に出会う。長大な地球史を整理するには便利な言い方だが、そのまま受け取ると、ある時代には特定の生物が地球全体を支配していたような印象を与えてしまう。 しかし実際の生態系には、人間社会の王や国家のような「支配者」は存在しない。大型で目立つ動物が繁栄していても、生態系はそれだけで成立しているわけではない。植物、藻類、菌類、微生物、小型動物、分解者など、無数の生物が物質とエネルギーの流れに関わっている。 「誰が地球を支配していたのか」という問いより、「その時代の生態系は、どのような生物どうしの関係によって成り立っていたのか」と問うほうが、生命史の実像に近づきやすい。 ## 三葉虫は古生代の海を支配していたのか 三葉虫はカンブリア紀に多様化し、その後も古生代の海で長く繁栄した節足動物である。化石が豊富に見つかるため、古生代を象徴する生物として扱われることも多い。 だが、古生代の海が「三葉虫の海」だったわけではない。 カンブリア紀には腕足動物、海綿動物、さまざまな節足動物などが存在し、その後のオルドビス紀には腕足動物、コケムシ、ウミユリ類、頭足類など多くの動物群が多様化した。さらに時代が進むと魚類も重要な構成要素となっていく。 三葉虫自身も一つの生き方をしていたのではない。海底を歩くもの、堆積物中の有機物を利用したと考えられるもの、遊泳性だったと推定されるものなど、多様な形態と生活様式があった。 つまり、「三葉虫が支配した」という一文では、その時代の生態系の複雑さをほとんど表現できない。 さらに重要なのは、目立つ動物の背後で微生物や藻類が物質循環を支えていたことである。化石として目につきやすい生物だけを見ていると、生態系を動かしていた重要な存在を見落としてしまう。 ## 恐竜の時代にも恐竜だけがいたわけではない 中生代、とくにジュラ紀や白亜紀は「恐竜の時代」と呼ばれる。その表現には一定の意味がある。陸上では恐竜が大型動物として大きな多様性を示し、さまざまな生態的地位を占めていたからだ。 しかし、恐竜が地球全体を支配していたという理解は正確ではない。 海には魚類や軟体動物のほか、魚竜、首長竜、モササウルス類など、恐竜とは別系統の大型脊椎動物がいた。空には翼竜が飛び、白亜紀には鳥類も多様化していた。陸上にも哺乳類、トカゲ類、ワニ類、昆虫などが存在していた。 植物相も大きく変化している。中生代前半には裸子植物が重要な位置を占め、白亜紀になると被子植物が多様化していった。植物の変化は昆虫や植食動物の生態とも関係し、生態系そのものを変化させていったと考えられている。 この世界を「恐竜が支配した」と表現すると、一つの動物群だけが主役で、それ以外は背景だったように見える。しかし実際には、恐竜も植物や微生物、昆虫、ほかの脊椎動物から切り離されて存在できたわけではない。 巨大な竜脚類でさえ、植物が生産した有機物を利用する消費者である。大型捕食者も、その下にある食物網がなければ生存できない。 目立つ生物と、生態系を支える生物は同じではない。 ## 大量絶滅は「王朝交代」ではない 生命史はしばしば、支配者が次の支配者に交代していく物語として語られる。 三葉虫が消え、恐竜が栄え、恐竜が絶滅すると哺乳類が地球を支配した――という筋書きである。 しかし、このような理解には時間的にも系統的にも大きな単純化がある。 三葉虫が絶滅したのは約2億5200万年前のペルム紀末であり、恐竜が本格的に多様化するのはそれより後である。三葉虫から恐竜へ直接「支配権」が移ったわけではない。 恐竜から哺乳類への交代も同様である。 哺乳類そのものは恐竜と同じ中生代にすでに存在していた。約6600万年前の白亜紀末の大量絶滅で鳥類を除く恐竜が絶滅した後、生き残った哺乳類の系統が新生代に大きく多様化した。 ここで起きたのは王座の継承ではない。 絶滅によって多くの生態的地位が空き、生き残った複数の系統が、それぞれ異なる方向へ多様化していったのである。 絶滅には将来の生物を繁栄させる目的などない。後から歴史を眺めると「恐竜が消えたから哺乳類の時代になった」と一本の因果線を引きたくなるが、実際の生命史は多数の偶然、環境変化、生物間相互作用、進化上の制約が重なった結果である。 ## 「哺乳類の時代」も人間中心の見方になりやすい 新生代はしばしば「哺乳類の時代」と呼ばれる。 確かに、白亜紀末の大量絶滅後には哺乳類が多様化し、陸上や海洋で大型化した系統も現れた。クジラ類は海へ進出し、コウモリは飛翔能力を獲得し、霊長類や有蹄類など多くのグループが広がった。 しかし新生代の生態系を形作ったのは哺乳類だけではない。 鳥類も多様化し、昆虫は膨大な種類を抱えている。植物では被子植物が広く分布し、草原の拡大は多くの動物の進化と結び付いた。海洋では植物プランクトンを起点とする食物網が広大な生態系を支えている。 個体数や種数、物質循環への寄与など、何を基準にするかによって「重要な生物」は変わる。 大型動物だけを基準にすれば哺乳類が目立つ。しかし種数なら昆虫の存在感は圧倒的であり、地球規模の物質循環を考えれば微生物を無視することはできない。 そもそも「支配」という言葉には、何をもって支配とするのかという基準がないのである。 ## 微生物から見れば、まったく違う生命史になる 大型動物を中心に生命史を語る習慣は、化石や復元画のわかりやすさとも関係している。 だが地球生命史をさらに長い時間尺度で眺めると、動物が登場する以前の期間が圧倒的に長い。 生命の初期史の大部分を担っていたのは微生物である。光合成を行う生物の活動は大気や海洋の化学組成に影響を与え、酸素濃度の長期的な変化は、その後の生命進化の条件の一つになった。 現在でも、微生物は炭素、窒素、硫黄などの循環に深く関わっている。動植物の体内にも多様な微生物が存在し、生物どうしの関係は個体単独では完結しない。 この視点から見ると、「三葉虫の時代」「恐竜の時代」「哺乳類の時代」という区分は、生命史全体のごく一部分を大型動物中心に切り取った表現だと分かる。 地球史を誰が支配したかと問うなら、むしろ長期間存在し続け、地球化学的循環にも関わってきた微生物のほうが有力に見えるかもしれない。 それでも「微生物が地球を支配している」と言い切れば、やはり同じ問題が残る。生命は多数の生物と環境の相互作用によって成り立っているからである。 ## 生態系には頂点があっても、生命史には頂点がない 食物網には大型捕食者が存在することがある。そのため「食物連鎖の頂点」という表現が、生命全体の序列へ拡張されやすい。 しかし、捕食者が進化的に「上位」の生物であるわけではない。 捕食者は被食者に依存し、植食動物は植物に依存する。植物も光、水、二酸化炭素、無機栄養だけでなく、土壌生物や菌類、受粉者などとの関係の中で生きている。死骸や排出物を分解する生物がいなければ、物質循環も現在と同じようには機能しない。 生態系とはピラミッドの頂点に一種類の勝者が立つ仕組みではなく、多数の相互依存関係からなるネットワークである。 進化にも最終目的地はない。 恐竜が哺乳類になるために存在していたのでも、哺乳類が人類を生み出すために進化してきたのでもない。現在生きているすべての系統は、それぞれ異なる歴史を経て現在まで残っている。 人類もその枝の一つにすぎない。 ## 「支配者」を探すより、関係の変化を見る 生命史がおもしろいのは、王者が次々と交代してきたからではない。 海洋の化学状態が変わり、生物が環境を変え、その変化が再び生物の進化に影響する。大陸が移動し、海流や気候が変わり、生息域が分断されたり接続されたりする。大量絶滅が起これば多くの系統が失われ、生き残った系統から新たな生態系が組み立てられていく。 そこには一人の主人公も、生命史全体を導く一本の道筋もない。 三葉虫も恐竜も哺乳類も、それぞれの時代の生態系を構成した重要な生物だった。しかし、いずれも単独で地球を支配した存在ではない。 生命史を理解するうえで重要なのは、「その時代の勝者は誰だったか」と探すことではなく、**どの生物が存在し、どのようにつながり、環境との関係がどう変化したのかを見ること**である。 生命史には王座がない。 あるのは、数十億年にわたって組み替えられ続けてきた、巨大で複雑な生物と地球環境の関係である。