多細胞化はなぜ繰り返し起きたのか

## 多細胞化は一度だけの「大発明」ではない 動物や植物の体は、膨大な数の細胞が協力してできている。そのため、多細胞生物の出現は生命史の中でも特別な出来事に見える。しかし、多細胞化そのものは、生命の歴史で一度だけ起きた変化ではない。 動物、陸上植物につながる系統、褐藻類、さまざまな藻類、菌類などでは、それぞれ異なる祖先から多細胞的な体制が進化したと考えられている。さらに、細胞が単純な集団をつくる段階まで含めれば、多細胞化に近い現象はより広く見られる。 これは、多細胞化が「奇跡的に一度だけ成立した仕組み」ではなかったことを意味する。一方で、多細胞になれば必ず大型化し、複雑な器官を持つようになるわけでもない。多細胞化が繰り返された理由を考えるには、細胞が集まること自体と、複雑な多細胞生物へ発展することを分けて考える必要がある。 ## 多細胞化の前提は単細胞時代にすでに存在していた 多細胞生物が成立するには、細胞同士が接着し、情報をやり取りし、集団として行動する仕組みが必要になる。ところが、こうした能力の一部は多細胞生物のために突然生まれたものではない。 単細胞生物にも、環境や他の細胞からの信号に反応する仕組みがある。細胞表面の分子を使って周囲と接触したり、分泌物によって集団を形成したりする生物もいる。微生物がつくるバイオフィルムはその身近な例で、細胞は完全に孤立して生活しているとは限らない。 真核生物では、細胞内部の構造が複雑になり、遺伝子の働きを細かく調節する仕組みも発達した。こうした特徴がどの程度、多細胞化を直接促したのかは単純には決められないが、細胞ごとに異なる役割を持たせるための基盤にはなったと考えられる。 つまり、多細胞化では、まったく新しい能力をゼロから作る必要はなかった。すでに存在していた接着、情報伝達、遺伝子制御などの仕組みを別の用途に組み合わせることで、細胞集団を一つの個体として機能させる方向へ進化できた。 ## 「集まること」には複数の利点があった では、なぜ細胞は集団になるのだろうか。重要なのは、多細胞化に一つだけの原因を求めないことである。環境や生活様式によって、集団化の利点は異なる。 ### 大きくなることで捕食されにくくなる 単細胞生物を捕食する生物がいる環境では、複数の細胞が集まって大型化すると、捕食者に飲み込まれにくくなる場合がある。 反対に、捕食する側にとっても大型化は有利になりうる。大きな体を持てば、より大きな餌を捕らえたり、移動能力を高めたりできる可能性がある。 捕食する側とされる側の相互作用は、細胞集団の形成を促す要因の一つになりうる。ただし、すべての多細胞化を捕食圧だけで説明することはできない。 ### 資源を効率よく利用できる 細胞が集団をつくることで、単独では利用しにくい資源を使える場合もある。 菌類のように外部へ酵素を分泌して有機物を分解する生物では、複数の細胞が連携して広い範囲へ成長することが資源獲得に役立つ。植物につながる系統では、光を受ける部分と物質を支える部分を分けるような体制が、後に大型化を可能にした。 この段階では、単に細胞数を増やすだけでなく、体の中に空間的な構造を持つことが重要になる。 ### 役割分担によって新しい能力が生まれる 多細胞化の大きな利点は、すべての細胞が同じ仕事をする必要がなくなることである。 ある細胞は栄養を獲得し、別の細胞は移動し、さらに別の細胞は繁殖を担う、といった分業が成立すれば、一つの細胞だけでは両立しにくい機能を同時に実現できる。 ただし、分業には代償もある。繁殖能力を失った細胞は、それだけを見れば自分の子孫を残せない。それでも個体全体の繁殖に貢献する仕組みが維持されるには、細胞間の利害がある程度一致している必要がある。 ## なぜ「同じ祖先から生まれた細胞」が重要なのか 多細胞体をつくる方法は大きく分けて二つ考えられる。別々に生活していた細胞が集まる方法と、一つの細胞が分裂した後も離れずに集団を形成する方法である。 後者では、集団を構成する細胞同士が遺伝的によく似ている。そのため、ある細胞が自分自身の繁殖を抑えて他の細胞を助けても、その行動によって同じ遺伝的特徴を持つ細胞が増える可能性が高い。 これは、複雑な多細胞体に必要な協力関係を安定させるうえで重要である。 一方、互いに異なる細胞が後から集合するタイプの多細胞性も存在する。その場合には、協力しない細胞が利益だけを得る問題が起こりやすい。そのため、どの細胞を集団に受け入れるか、増殖をどのように制御するかといった仕組みが重要になる。 多細胞化は細胞を増やすだけの問題ではなく、「細胞同士の協力をどう維持するか」という進化上の問題でもあった。 ## 酸素の増加は多細胞化を可能にしたのか 地球生命史では、多細胞生物の進化と大気・海洋の酸素化がしばしば結び付けて語られる。 酸素を使った呼吸は大量のエネルギーを利用できるため、大きな体や活発な運動を支えるうえで重要である。特に動物の大型化や活動性の上昇については、環境中の酸素量が重要な制約になった可能性が高い。 しかし、「酸素が増えたから多細胞生物が誕生した」と単純化することはできない。 多細胞性そのものは、必ずしも巨大なエネルギー消費を必要としない。比較的単純な多細胞体なら、低酸素環境でも成立しうる。また、地球の酸素濃度が変化した時期と、それぞれの系統で多細胞性が進化した時期との関係にも不確実性がある。 酸素化は、多細胞化を一度だけ引き起こしたスイッチというより、多細胞生物が大型化し、活動性や構造を複雑化させられる範囲を広げた環境条件の一つと考える方が適切である。 ## 多細胞化には大きな問題もあった 細胞が協力すれば利点が生まれる一方で、新しい問題も生じる。 体が大きくなると、内部の細胞へ栄養や酸素を届けなければならない。老廃物も排出する必要がある。単純な拡散だけでは物質輸送が間に合わなくなれば、管や循環系に相当する構造が必要になる。 さらに、すべての細胞が勝手に増殖すれば個体の形を維持できない。細胞分裂を制御し、必要に応じて細胞を死なせる仕組みも重要になる。現代の動物で見られるがんは、多細胞体の内部で細胞増殖の統制が破綻する問題の一例とみなすことができる。 複雑な多細胞生物とは、多くの細胞を抱えた生物というだけではない。多数の細胞の増殖、分化、位置、死を調整する統治システムを持った生物でもある。 この障壁があるため、多細胞化が繰り返し起きても、すべての系統が動物や陸上植物のような高度に分化した体へ進んだわけではない。 ## 多細胞化は生態系そのものを変えた 多細胞化が進むと、生物は単細胞では実現しにくかった形や生活様式を獲得できるようになった。 体を大きくして水中を泳ぐ。海底に固定して水中の粒子を集める。地面の上へ伸びて光を獲得する。土壌や岩石の内部へ広がって有機物を分解する。捕食する側と逃げる側が大型化し、互いに新しい防御や攻撃手段を進化させる。 こうして生態系には、単に「生物の種類」が増えただけでなく、体の大きさ、形、移動能力、食物の利用方法が異なる新しい生態的地位が生まれた。 さらに、植物や藻類による光合成、菌類による分解、動物による摂食や堆積物の攪拌などが大規模になると、生物活動そのものが炭素や酸素、栄養塩の循環へ影響するようになる。 地球環境が多細胞生物の進化条件を変え、多細胞生物もまた地球環境を変えるという相互作用が、ここから一段と強まっていった。 ## 繰り返されたのは「完成形」ではなく進化の入口だった 多細胞化が生命史で何度も起きたのは、細胞同士の接着や情報交換といった材料がすでに存在し、集団化がさまざまな環境で利益をもたらしうるからだと考えられる。 しかし、その先にある大型化、細胞分化、発生制御、物質輸送、繁殖細胞と体細胞の分業まで進むには、さらに多くの進化的変化が必要だった。 したがって生命史は、「単細胞生物が一度だけ多細胞生物へ進化し、そこから複雑な生命が広がった」という一本道ではない。 異なる系統がそれぞれ独立に細胞集団を作り、その一部だけがさらに複雑な体制へ進んだ。多細胞化が繰り返されたという事実は、進化が一つの完成形を目指して進むのではなく、既存の仕組みを利用しながら、似た課題に何度も異なる形で応えてきたことを示している。