花と昆虫の共進化
## 花の登場は、植物だけの変化ではなかった
花は、被子植物が繁殖のためにつくる器官である。しかし地球生命史の視点から見ると、花の進化は植物だけで完結する出来事ではない。花粉を運ぶ昆虫との関係が発達したことで、植物の繁殖方法、昆虫の食物資源、森林や草原の構成、さらには陸上の食物網までが変化していった。
この関係はしばしば「花は昆虫に受粉してもらうために進化し、昆虫は花を利用するために進化した」と説明される。しかし、進化にはあらかじめ決められた目的があるわけではない。花を訪れる昆虫と植物の間で、それぞれ繁殖や生存に有利な性質が世代を重ねて選択された結果、相互に適応した組み合わせが生まれていったと考える必要がある。
さらに、被子植物と昆虫の多様化を一つの原因だけで説明することもできない。花と昆虫の相互作用は重要だったと考えられているが、気候、大陸配置、既存の植生、昆虫側の飛翔能力や感覚器官など、多くの条件が重なっていた。
## 共進化以前から昆虫は植物と関わっていた
花と昆虫の共進化が始まるためには、その前段階として、陸上に植物と昆虫の双方がすでに存在していなければならない。
植物は被子植物が現れるはるか以前から陸上生態系を形成していた。シダ植物や裸子植物などが広がり、植物を食べたり、その周辺で生活したりする節足動物も多様化していた。昆虫と植物の関係そのものは、花の出現によって突然始まったわけではない。
また、昆虫の飛翔能力は花粉媒介にとって重要な前提となった。飛ぶことのできる昆虫は、一つの植物から別の植物へ移動しながら資源を利用できる。植物側から見れば、その移動能力を結果的に花粉輸送に利用できる可能性が生まれる。
昆虫にはさらに、匂いを感じる化学感覚や視覚が備わっていた。こうした能力はもともと花を探すためだけに生まれたものではないが、花が昆虫を誘引する仕組みが進化すると、新しい相互作用に利用されるようになった。
つまり花と昆虫の共進化は、何もないところから始まったのではない。すでに存在していた昆虫の移動能力や感覚能力と、植物の繁殖構造が組み合わさることで成立した。
## 花粉を運ぶ動物を利用するという繁殖戦略
種子植物が繁殖するには、花粉が適切な場所まで移動しなければならない。裸子植物では風による花粉輸送が広く見られ、被子植物にも風媒の種類は多数存在する。一方、多くの被子植物は昆虫などの動物に花粉を運ばせる仕組みを発達させた。
昆虫媒介には大きな特徴がある。風は方向を選ばないが、昆虫は食物などを求めて特定の対象を繰り返し訪れることがある。昆虫が同じ種類の植物の花を続けて訪れれば、花粉を比較的効率よく同種の別個体へ運べる可能性が高まる。
植物はその働きを利用する一方、昆虫に利益を与える仕組みを進化させた。代表的なのが花粉そのものや蜜である。昆虫にとって花は食物を得られる場所となり、植物にとって昆虫は花粉を運ぶ存在となる。
ただし、両者の関係は常に完全な相互利益とは限らない。花粉や蜜だけを奪って受粉にほとんど貢献しない昆虫もいる。反対に、植物側にも昆虫を強く誘引しながら十分な報酬を与えない例がある。共進化は調和的な協力関係だけではなく、利益をめぐる駆け引きを含んでいる。
## 色、香り、形が相互作用を細分化した
昆虫による花粉媒介が成立すると、花を見つけてもらいやすい植物ほど繁殖上有利になる場合がある。その結果として、花の色、香り、形、開花時期など、さまざまな特徴が花粉媒介者との関係の中で変化してきた。
昆虫側にも変化が生じる。特定の花から効率よく蜜や花粉を得られる口器、花を発見するための視覚や嗅覚、花を訪れる行動などが、採餌効率や繁殖成功に影響する可能性がある。
こうした相互作用が強くなると、特定の植物と特定の昆虫が密接に結び付く場合がある。花の奥深くに蜜がある植物では、それを利用できる形の口器を持つ昆虫が有利になり、その昆虫が主要な花粉媒介者となれば、植物側にもさらに特殊化した形態が維持される可能性がある。
ただし、すべての花と昆虫が一対一で対応しているわけではない。実際の生態系では、一種類の植物を複数種の昆虫が訪れたり、一種類の昆虫が多数の植物を利用したりする関係も非常に多い。
したがって、花と昆虫の共進化は単純な「植物一種対昆虫一種」の組み合わせではなく、多数の生物が結び付いたネットワークとして見る方が実態に近い。
## 昆虫も被子植物も急速に多様化した
被子植物は中生代に現れ、その後大きく多様化した。一方、昆虫も地球生命史を通じて非常に多様な動物群となった。とくに花を利用する昆虫群では、被子植物の多様化との関係が長く議論されてきた。
植物側で新しい花の形や開花時期、化学物質などが生じれば、それまで利用されていなかった資源を使える昆虫が現れる余地が生まれる。逆に、昆虫側の新しい行動や形態が、植物に新しい選択圧を与えることもある。
このような相互作用は、互いに新しい生態的機会をつくり出す。植物の多様化が昆虫の利用可能な資源を増やし、昆虫の多様化が植物に異なる花粉媒介者を提供するという循環が成立しうる。
ただし、被子植物や昆虫の爆発的な多様化をすべて共進化だけの結果とみなすのは適切ではない。系統ごとに多様化した時期は異なり、昆虫の主要な系統の中には被子植物の繁栄以前から存在していたものもある。化石記録や分子系統解析から両者の関係が研究されているが、どの程度まで互いの多様化を直接促進したのかについては、系統によって事情が異なる。
## 花を中心とした新しい食物網が生まれた
花の普及による影響は、植物と花粉媒介昆虫だけにとどまらなかった。
蜜や花粉という資源が大量に存在するようになると、それらを食べる昆虫が増え、その昆虫を捕食するクモや他の昆虫、脊椎動物などにも影響が広がる。植物の葉、種子、果実を利用する動物も含め、被子植物を中心とした複雑な食物網が形成されていった。
被子植物の増加は植生そのものも変化させた。森林内部の構造や林床環境、植物の更新速度などが変われば、そこに暮らす動物の生息場所も変化する。
さらに、花粉媒介という生態系機能が重要になった。植物の繁殖が動物の行動に依存し、動物の食物供給が植物の開花に依存することで、異なる生物群の生活史が強く結び付くようになったのである。
そこでは、ある生物群の変化が別の生物群へ波及する。特定の花粉媒介者が減れば植物の繁殖が影響を受け、その植物が減れば、それを利用する別の動物も影響を受ける可能性がある。共進化が生み出した関係は、生態系を豊かにすると同時に、生物同士の依存関係を増加させた。
## 共進化は「共同で進化する」ことではない
「共進化」という言葉から、植物と昆虫が協力しながら同じ方向へ進化していく姿を想像すると誤解が生じる。
共進化とは、一方の生物の性質が他方の生物に選択圧を与え、その変化が再び最初の生物に選択圧として返ってくるような相互的な進化を指す。そこには協力だけでなく、競争や搾取も含まれる。
例えば植物にとっては、できるだけ少ない資源で確実に花粉を運んでもらうことが有利になりうる。一方、昆虫にとっては、できるだけ少ない労力で多くの蜜や花粉を得ることが有利になりうる。両者の利益は重なる部分もあれば、一致しない部分もある。
そのため花と昆虫の関係は、相互利益と対立が入り混じりながら変化してきた。現在見られる精巧な花と昆虫の組み合わせも、最初から完成形が存在したのではなく、長い世代の積み重ねによって形成されたものである。
## 花の登場が陸上生態系の結び付きを変えた
花と昆虫の共進化が地球生命史において重要なのは、単に美しい花や多様な昆虫が生まれたからではない。
その本質は、異なる生物の進化が互いの環境そのものになったことにある。植物にとって昆虫は繁殖条件の一部となり、昆虫にとって花は食物環境の一部となった。それぞれの進化が、相手が受ける自然選択の条件を変えるようになったのである。
そこから花の形態や昆虫の行動が多様化し、それを基盤としてさらに多くの生物が結び付いた。被子植物の森林や草原、花粉媒介昆虫、それらを食べる動物という現在の陸上生態系の重要な部分は、この長期的な相互作用の上に成り立っている。
生命史は、一つの系統だけが独立して変化してきた歴史ではない。生物が別の生物に新しい環境をつくり、その変化がさらに別の進化を引き起こす。花と昆虫の共進化は、生命同士の相互作用そのものが地球上の多様性を生み出す力になりうることを示す代表的な転換なのである。