進化の偶然と制約

進化は「偶然」だけでも「必然」だけでもない

生命の進化を語るとき、「すべては偶然だった」という説明と、「環境に適応するために必然的に変化した」という説明が対立することがある。しかし、実際の進化はそのどちらか一方では捉えにくい。

突然変異がいつ、どの個体に生じるかには偶然性がある。集団の一部だけが災害を生き残ることや、少数の個体が新しい地域へ移住することにも偶然が関わる。一方で、生物はどのような姿にも自由に変化できるわけではない。祖先から受け継いだ体の構造、発生の仕組み、物理法則、利用できる遺伝的変異、そして周囲の環境によって、進化しうる方向には制約がある。

そのため生命史は、サイコロだけで決まる無秩序な歴史でも、あらかじめ決められた目的へ進む一本道でもない。偶然に生じた変化が、過去から受け継いだ条件のもとで選別され、その結果がさらに次の進化の条件になるという歴史である。

突然変異は必要だから起こるわけではない

進化の偶然性を理解するうえで重要なのが、突然変異と自然選択を区別することである。

突然変異は、生物が必要としている特徴を狙って生み出す仕組みではない。たとえば、ある環境で特定の薬剤に耐えられる微生物が有利になるとしても、「薬剤があるから耐性変異を起こそう」と微生物が目的を持って変化するわけではない。

集団の中にさまざまな遺伝的変異が生じ、その一部が特定の環境で生存や繁殖に有利になる。すると、その変異を持つ系統が後の世代で増えることがある。ここで自然選択は無作為ではない。環境との関係によって、生存や繁殖の結果に偏りが生じるからである。

つまり、変異の発生には偶然性があっても、その後の広がり方まで完全に偶然とは限らない。この二つを混同すると、「進化はすべて偶然」という誤解にも、「生物は必要に応じて進化する」という誤解にもつながる。

大量絶滅は進化の進路を変える

生命史では、生物自身の性質とは直接関係しない出来事が、その後の進化を大きく左右してきた。

代表的なのが大量絶滅である。約6600万年前の白亜紀末には、巨大隕石の衝突を含む急激な環境変化の時期に、鳥類を除く恐竜をはじめ多くの生物群が絶滅した。

ここで重要なのは、絶滅した生物が「進化的に劣っていた」わけではないことである。恐竜は1億年以上にわたって多様な陸上環境に広がっていた。長期間繁栄していた系統であっても、急激な環境変化によって失われることがある。

逆に、生き残った生物が生命史の「勝者」としてあらかじめ選ばれていたわけでもない。小型であること、食性、繁殖方法、生活場所などが結果的に有利に働いた可能性はあるが、生存には複数の要因が関係していたと考えられている。

白亜紀末の絶滅後、哺乳類は多様化し、やがて大型草食動物、捕食者、飛翔するコウモリ、海へ進出したクジラ類など、さまざまな生態的役割を占めるようになった。

もし白亜紀末の環境変動が異なる形で進んでいたなら、その後の生態系も違っていた可能性がある。現在の生物相は、唯一必然的に到達する完成形ではなく、過去の出来事を積み重ねた結果なのである。

過去の構造が未来の可能性を制限する

進化には偶然性がある一方、強い歴史的制約も存在する。

陸上脊椎動物の四肢はその一例である。私たちの腕、鳥の翼、コウモリの翼、クジラの胸びれは、用途も外見も大きく異なる。しかし、それらは共通祖先から受け継いだ基本的な四肢構造を改変したものである。

飛行するという課題だけを考えれば、まったく新しい器官をゼロから設計する方法も想像できる。しかし進化には設計者がいない。既存の構造に変異が生じ、その中から機能するものが世代を通じて残る。

鳥の翼もコウモリの翼も、すでに存在していた前肢を利用して成立した。クジラも海へ進出する際、魚と同じ体を最初から作り直したわけではない。陸上哺乳類から受け継いだ骨格や呼吸器官を保持しながら、水中生活に適した形態を発達させた。

進化とは、白紙に理想的な生物を描く過程ではなく、過去から受け継いだ材料を改変する過程なのである。

同じ環境では似た形が繰り返されることもある

歴史的制約があるとしても、進化の結果が完全に予測不能というわけではない。同じような環境条件のもとでは、異なる系統に似た特徴が独立して現れることがある。これは収斂進化と呼ばれる。

たとえば、水中を高速で移動する魚類、絶滅した海生爬虫類、イルカ類には、系統的には離れているにもかかわらず、流線形に近い体形が見られる。

これは水という環境の物理的条件が、効率よく泳ぐ体に一定の制約を与えるためと考えられる。

飛行も複数の系統で独立して成立した。昆虫、翼竜、鳥類、コウモリは、それぞれ異なる祖先から飛行能力を獲得している。しかし翼の構造は同じではない。共通する物理的課題に対して似た機能が現れる一方、その実現方法は祖先から受け継いだ体の構造に左右される。

ここには、進化における必然性と偶然性の組み合わせがよく表れている。環境や物理法則によって似た解決策が有利になることはあるが、どの系統がその解決策に到達するか、どの構造を利用するかまでは一つに決まっていない。

絶滅した系統も「失敗作」ではない

現在まで生き残った生物だけを見て生命史を考えると、進化が現代の生物へ向かって進んできたように見えやすい。

しかし化石記録には、現在まで子孫を残していない多くの系統が存在する。三葉虫は古生代の海で長期間にわたり多様化したが、ペルム紀末までに絶滅した。アンモナイト類も長い期間にわたって海洋生態系の一部を占めたが、白亜紀末に姿を消した。

絶滅したという結果から、それらを進化的な失敗とみなすことはできない。生物の適応度は環境によって変わり、ある時代に成功していた特徴が、環境の変化後にも有利とは限らないからである。

同様に、現在存在している生物を「進化の頂点」と考えることにも意味はない。細菌、植物、昆虫、魚類、鳥類、哺乳類などは、それぞれ異なる環境で存続している現生の系統であり、一列の階段上に並んでいるわけではない。

人類の出現も進化の目的ではない

生命史を人間の出現へ向かう物語として描くことも、進化を理解するうえでは注意が必要である。

哺乳類が現れたのは人類を生み出すためではなく、霊長類が進化したのも人間になるためではない。それぞれの時代の集団が、その時点での環境や他の生物との関係の中で分岐を繰り返してきた結果、その枝の一つとしてヒトの系統が存在している。

進化を系統樹として考えると、この点が分かりやすい。系統樹には一本の幹の先に人間が置かれているのではなく、多数の枝が分岐している。絶滅した枝もあれば現在まで続く枝もあり、人類もその一つにすぎない。

偶然と制約の積み重ねが生命史をつくる

進化の歴史では、突然変異、個体群の分断、気候変動、火山活動、大陸移動、大量絶滅など、多くの出来事が絡み合ってきた。その中には偶然性の強いものもある。

しかし、生物は無限の可能性から自由に姿を選ぶわけではない。祖先から受け継いだ構造、発生の仕組み、環境条件、物理法則などが、可能な変化の範囲を制限する。

そして一度成立した特徴や生態系は、次の進化にとって新しい出発条件になる。

だから生命史は、単純な「偶然の連続」でも「必然的な進歩」でもない。偶然に開かれた分岐と、過去によって課された制約が重なりながら、多数の系統が生まれ、分かれ、絶滅してきた歴史である。

現在の生命世界は、その過程の終着点ではない。私たちが目にしているのは、約40億年に及ぶ生命史の中で、たまたま現在まで続いている一時点の姿なのである。