節足動物はどう陸へ進出したのか
## 海から陸へ――節足動物の進出は一度ではなかった
現在の陸上には、昆虫、クモ、ムカデ、ヤスデなど膨大な数の節足動物が暮らしている。しかし、節足動物の祖先をたどれば、その歴史は海から始まる。カンブリア紀の海では、すでに多様な節足動物が遊泳し、海底を歩き、堆積物を掘り返していた。
そこから陸上への進出が起こったとき、単に「海の動物が陸に上がった」のではない。陸上では、呼吸、水分保持、体の支持、移動、繁殖、感覚など、海とは異なる問題を解かなければならなかった。一方で、陸地そのものも無生物の裸地ではなくなりつつあり、微生物や初期の植物がつくる新しい環境が広がっていた。
さらに重要なのは、節足動物の陸上進出が単一の祖先による一度きりの出来事ではなかったことである。多足類、鋏角類、六脚類などにつながる系統では、それぞれ異なる歴史のなかで陸上生活への適応が進んだと考えられている。陸上化とは、一つの発明によって突然成立した事件ではなく、複数の系統が段階的に海や水辺への依存を減らしていった過程だった。
## 陸上進出の前に必要だった条件
動物が本格的に陸へ進出するには、陸側にも生態系の基盤が必要だった。
初期の陸地には、微生物の集団や地表を覆う生物膜が存在していたと考えられている。その後、コケ植物に似た初期の陸上植物や維管束植物が広がるにつれ、地表には有機物が蓄積し、植物片や微生物を利用する生物にとって新しい食物資源が生まれた。
植物の存在は食物を供給するだけではない。根や地下器官によって岩石の風化が促進され、地表の構造が変化する。枯死した植物は有機物を供給し、微生物による分解も進む。こうした相互作用によって、土壌へつながる環境が発達していった。
したがって、節足動物の陸上化を植物の陸上進出と完全に切り離して考えることはできない。ただし、「植物が登場したから節足動物が陸へ上がった」という単純な因果関係でもない。植物、微生物、地表環境、節足動物は相互に影響しながら、初期の陸上生態系を形成していったとみるほうが適切である。
## 水から離れるために必要だった変化
### 最大の問題は乾燥だった
水中では体表が常に水に囲まれている。しかし陸上では、体表から水が失われ続ける。
節足動物がもともと持っていた外骨格は、この問題に対して有利に働いた。外骨格は体を支えるだけでなく、体表からの水分損失を抑えることができる。陸上生活をする系統では、さらに体表構造や行動による乾燥への対策が発達した。
とはいえ、初期の陸生節足動物が最初から乾燥した内陸に住んでいたとは考えにくい。湿った地表、湖沼や河川の周辺、植物の間、堆積した有機物の下など、水分を保ちやすい場所が陸上化の重要な足場になった可能性が高い。
「陸上進出」といっても、最初から水と完全に無関係になったわけではないのである。
### 空気から酸素を取り込む
呼吸器官にも変化が必要だった。
現在の節足動物を見ると、その方法は一つではない。昆虫や多足類では気管系が発達し、クモ類などでは書肺や気管が使われる。これらは空気中から酸素を取り込む仕組みだが、異なる系統に見られる呼吸器官を一つの単純な進化系列として並べることはできない。
節足動物の各系統は、それぞれの祖先がもっていた構造をもとに陸上呼吸へ適応したと考えられる。ここにも、陸上化が複数の系統で独立に進んだことが表れている。
### 重力への対応は比較的有利だった
水中から陸上へ出ると、浮力が失われる。そのため脊椎動物では、体を支える骨格や四肢の変化が大きな問題となる。
節足動物はすでに硬い外骨格と関節のある脚を持っていた。これは陸上で体重を支え、地面を移動するうえで有利な前適応だったと考えられる。
もちろん、水中用の運動器官がそのまま陸上で最適だったわけではない。しかし、体を外側から支える構造と歩行可能な付属肢をすでに備えていたことは、節足動物が比較的早い時期に陸上へ進出できた背景の一つだった。
## なぜ陸へ向かったのか
陸上進出に「陸へ行く」という目的があったわけではない。進化は未来の環境を見越して進むものではないからである。
海岸や淡水域の周囲を利用していた集団のなかで、湿った地面へ出て餌を利用できる個体や、一時的な乾燥に耐えられる個体が有利になる状況が繰り返されたと考えることができる。その積み重ねが、水中への依存度の低下につながった可能性がある。
新しい陸上環境には、微生物、腐敗した有機物、初期の植物などが存在した。これらを食べる節足動物が進出すれば、次にはそれらを捕食する節足動物にも新しい機会が生まれる。
つまり陸上化を促した要因は一つではない。利用できる食物、新しい生息場所、水辺での生活にすでに備わっていた形態、乾燥への耐性、捕食や競争などが組み合わさっていたと考えられる。
どの要因が最初の陸上化で決定的だったかを化石だけから特定することは難しく、詳細には不明な点が残っている。
## 最初の陸上生態系では何が起きたのか
節足動物が陸へ進出すると、陸上生態系の構造そのものが変化した。
初期の陸生節足動物には、植物そのものだけでなく、腐敗した植物片や微生物などを利用したものがいたと考えられている。こうした生物は有機物を細かくし、微生物による分解を助ける。排泄物や死骸も新たな有機物となる。
そのため節足動物は、地表の物質循環に組み込まれていった。
植物が有機物を生産し、節足動物や微生物がそれを利用し、分解された物質が再び環境へ戻る。この循環が複雑化することで、陸上には単なる植物群落を超えた生態系が成立していった。
捕食関係も生まれた。植物や腐植を利用する小動物が増えれば、それを捕食する動物にとっても陸上は新しい生息場所になる。鋏角類を含む捕食性節足動物の陸上化は、陸上に食物網が形成されていったことを示している。
こうして「植物―分解者」「被食者―捕食者」といった関係が重なり、陸上生態系は次第に多層化していった。
## 植物と節足動物は互いに陸地を変えた
その後、植物が大型化し、森林が成立すると、節足動物が利用できる環境はさらに増えた。
地表だけでなく、幹、枝、葉、樹皮、落ち葉、土壌などに異なる生息場所が生まれる。同じ森林の内部でも、湿度、光、温度、食物資源が場所によって異なるため、多様な生態的地位が形成された。
節足動物の側も植物に影響を与えるようになった。植物体を食べるもの、枯死した組織を分解するもの、植物を食べる動物を捕食するものなど、多様な関係が発達した。
さらに後の時代には、昆虫と種子植物の間で送粉や植食をめぐる複雑な相互作用が発展する。しかしこれは、節足動物が陸へ進出した最初期から完成していた関係ではない。陸上化の後、長い進化史のなかで生態系が複雑化した結果である。
## 陸上化がもたらした生命史の転換
節足動物の陸上進出は、ある動物群が新しい場所へ移動したというだけの出来事ではなかった。
それ以前の陸上では、生命活動の中心は微生物や植物に大きく依存していた。そこへ移動能力を持つ動物が加わることで、植食、腐食、捕食、死骸の分解などが広い範囲で行われるようになった。陸上の物質循環と食物網は、それまでより複雑になった。
そして節足動物自身も、陸上に存在する多様な環境へ適応しながら分化していった。土壌、地表、植物上、地下、淡水周辺など異なる場所が新しい進化の舞台となった。
重要なのは、陸上進出を「海から陸への一回の大ジャンプ」と考えないことである。水辺を利用する段階、湿った陸地で生活する段階、水への依存をさらに減らす段階があり、その経路も系統によって異なっていた。
節足動物が陸へ進出できたのは、外骨格や関節肢という既存の特徴だけのおかげでも、植物という新しい食物だけのおかげでもない。地表環境の変化、植物と微生物による生態系基盤の形成、乾燥や呼吸への適応、新しい資源と生態的地位の利用が重なった結果だった。
そして陸へ進出した節足動物は、出来上がった陸上環境を利用しただけではない。分解や捕食、植食などを通して、その後の陸上生態系そのものを作り変える存在になったのである。